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2023.03.21 書棚

世の中が、がらりと変わって見える 物理の本

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世の中が、がらりと変わって見える 物理の本 カルロ・ロヴェッリ著 2015年11月30日発行

同じ内容:すごい物理学入門 カルロ・ロヴェッリ著 2020年9月10日発行

世の中はいったいどうなっているのか?日々起こる出来事はどこから発生するのか?そんなことをずっと考えて、調べていると量子力学にいきつくことが増えてきます。カルロ・ロヴェッリさんは、量子力学でわかってきたことをもとに、私たち人間の関心のあるところへ戻して語ってくれているところがありがたいところです。日本では、故町田茂さんの本にも同じような雰囲気を感じていました。研究者の素晴らしいところは、実証されたことから仮説を立てて、実験し、間違っていたら、素直にそれを認め、やり直すところがいいなぁと思います。この世の中はまだまだわからないことだらけ(宇宙の95%がわかっていない)なのを知っているから、謙虚な姿勢で、熱い想いとロマンを持って追い求めているのだと感じています。この本には、第1回講義から第6回の講義のなかで、ここ100年間の間にこれまでの常識がひっくり返っていることが書かれています。それらを踏まえたうえで最終講義「自由と好奇心」では、わたしたち人間はどのような存在なのか?という問いからはじまります。ロヴェッリさんの『世界は「関係」で、できている』『時間は存在しない』と合わせて読んでいると、ここまで自然や世の中のことがわかっているんだぁ、そうなると・・・日々の捉え方、考え方、想像が変わってきます。

追記

故町田茂さんが書かれた「量子力学の不思議な世界 2000年10月30日発行」の冒頭に、量子力学を使うには数学が必要だが、量子力学の考え方を知るためには、その必要はないと私は思う。必要なのは論理的に考えることと、私たちの経験を、経験の条件に即して、自然に忠実に扱うことだ。これによって、私たちがいままでに持っている物質についての無意識の先入観を明らかにすることを、量子力学は要求する。

また、最終ページには、量子力学的対象は、サイコロのような、可能な値がすでに準備されたものではないのだ。それは、何を測るかによって、また測り方によって、可能性が違ってくるようなものなのだ。~中略~ ものごとは、観察(相互作用)するまでは、まったく流動的でなにも決まっておらず、潜在性の段階では、それらの“事象”はいくらでも“共存”する。測定と測定とのあいだの対象は、いわば、潜在性のかたまりであって、密度行列あるいは状態ベクトルは自然の潜在性を表し、確率則が、その潜在性と偶然的な現象とをつなげている。と書かれてあります。2000年にこのような事実がわかっていたということに驚きです。

ちえじん 星川真一郎

●引用(すごい物理学入門から)&備忘メモ

◎カルロ・ロヴェッリさんの決意
世界が、無数のはかなく揺れる量子からなる空間と物質でできており、空間と素粒子の果てしない組み合わせなのだとしたら、私たち人間とはいったいどのような存在なのでしょう。私たちもまた、量子や粒子だけでつくられているのでしょうか。もしそうだとしたら、私たち一人ひとりが抱いている、独立した自己としてここに存在しているという感覚は、いったいどこから来るのでしょうか。私たちの価値観や夢、感動、ほかでない知識というものは、何なのでしょうか。この輝きを放つ果てしない宇宙において、私たち人間とはどのような存在なのでしょうか。
これはたいへん難しい問題です。現代科学という大きな枠組みにおいて、いまだに解き明かされていない謎はたくさんありますが、なかでもわかっていないのが私たち自身のことなのです。だからといって、この問いを避けて通り、知らないふりをしてしまうのは、何か本質的なものをおろそかにすることになるのではないでしょうか。科学という光を当てたときに世界がどう見えるのか、それを皆さんにお話しようと決めた以上、その世界に、ほかでもなく私たち人間も含まれることを無視するわけにはいきません。すごい物理学入門 P.119 引用

◎それぞれが、記憶や意識を、現実世界に投影している?
「私たち」人間は、なによりもまずこの世界を観察している主体であり、これまで私がお話してきたような(※1)、現実世界の「再現写真」を集団で制作しています。私たち人間は情報交換ネットワークの要であり、本書はそれぞれをつなぐネジの役割をしています。私たちはそのネットワークを通じて、イメージや道具、情報や知識を交換し合っています。P.121引用 

※1の関係する部分として
世界との微視的な相互作用が、とある系(たとえば自分たち自身)にまつわる一時的な現象を浮かびあがらせるのです。それらは無数にある変数の平均値と相互作用を起こしているわけです。私たち人間の記憶や意識というものは、時間のなかで不変ではない、こうした統計的な現象のうえに形づくられています。P.112引用

◎再現写真を見ることで、さらなる手掛かりを探る≒進化し続ける?!
私たちがつくりあげる世界のイメージは、私たちのなかに、つまり私たちの思考という空間に息づいています。そうしたイメージ(私たちの持つ限られた方法によって理解し、再現できるもの)と私たちがその一部をなしている実際の世界のあいだには、数えきれないフィルターが存在しています。たとえば、私たちの無知、感覚や知能の限界、そして主体、しかも特殊な主体であるということによって体験に課せられる条件・・・それらは、人類の知的進化にともなう経験的なものであり、つねに進化し続けるものです。私たち人間は、ものごとを学ぶだけでなく、自己の概念構造を少しずつ変えていき、学んだことにそれを適応させていきます。~中略~ 私たちは、この世界をより正確に描写するためにさらなる手掛かりを探っているのです。P.123引用

◎物語を創作し、再現写真とのギャップから手掛かりを追える?!

直接目にすることはできませんが、手掛かりなら追えることを推論するために、現実世界を注意深く観測する行為なのです。間違える可能性もあることをつねに自覚しているため、何か新しい手掛かりがあらわれれば、すぐに考えを改める心積もりもできています。同時に自分たちが優秀で、正しく理解できれば、探しているものを見つけ出せることもわかっているのです。それこそが科学といえるでしょう。

物語を創作することと、何かを突きとめるための手掛かりを追うこと。これら2つの異なる人間の営みの混同は、現代文化の一部に根強く残る、科学に対する無理解と警戒心の源ともいえます。両者を隔てる壁は非常に薄いものです。~中略~ 神話は科学によって豊かになり、科学は神話によって豊かになりますが、それでも「知」という認識的な価値は残ります。つまり、私たちの知識には世界が反映されます。程度こそまちまちですが、私たちの住んでいる世界が映し出されるのです。~中略~ 世界に存在しているものはどれも、絶えず互いに作用し合っています。そして作用する際に、作用した相手の状態の痕跡がそれぞれの状態に残るのです。そのような意味において、世界に存在しているものはいつだって、情報を交換し合っているといえるでしょう。P.125引用

◎自然界における絶え間ない情報のやりとりから、モノも思考もすべてがつくり出される
ひとつの物理系が別の物理系に対してもつ情報は、精神的なものでも主観的なものでもありません。単にひとつの物の状態と別の物の状態のあいだに生じた物理現象による結びつきにすぎないのです。たとえば、一滴の雨粒には、空に雲が存在しているという情報が含まれていますし、風は近くに迫っている嵐についての情報を運んできます。風邪のウイルスにはその人の鼻の粘膜の弱さについての情報が含まれていますし、人間の細胞のDNAにはその人の遺伝コードに関する情報がすべてつまっていて、それによって親に似るわけです。さらに人の脳には、経験によって培われてきた情報がたくさん詰まっています。私たちの思考の基本的実体は、このように収集され、交換され、蓄積され、絶えず処理されている膨大な量の情報なのです。P.127引用

◎自然の法則とは、相互作用により、生じる関係?!
私たちを形づくっているものの何ひとつとして、自然の法則に従わないものはありません。もしも、自然の法則に従わないものが私たちの内部にあるとしたら、人類はかなり以前にそのことに気づいてはずです。私たちの内部には、物質の自然なふるまいに背くものはひとつとしてありません。この見解は、物理学や化学、生物学、神経科学など、あらゆる現代科学によって、強まるばかりです。
~中略~
私たち自身もその自然の構成要素であると同時に、自然そのものでもあります。自然のもつ、実に多彩な無数の表現にひとつなのです。世界のものごとに対する人間の知識が深まるにつれ、私たち人間も自然の一部であることを痛感するのです。
~中略~
私たち人間が、愛し、誠実でいるのは、自然の姿です。より多くのものごとを知りたいと願い、学び続けるのもまた、自然の姿です。
私たち人間がわかっていることに周囲には、大海のようにひろがる、まだ解き明かされていないことと境を接しながら、謎めいた美しい世界が光輝いています。その姿に私たちは、息をするのも忘れて見惚れてしまうのです。P.129引用

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