一人ひとりが役割を発見し、
持って生まれた能力に気づいて、楽しく働き、楽しく生きよう
一人ひとりが役割を発見し、
持って生まれた能力に気づいて、楽しく働き、楽しく生きよう
死は存在しない ~最先端量子力学が示す新たな仮説~ 田坂広志著 2022年10月30日発行
田坂広志さんのお名前とお顔は、YouTubeに現れてくるので知っていましたが、なぜか動画を見ようという気が起こらず、まず本を読んでみようと買って読んだのが出会いのきっかけでした。読んでいくうちに、あぁ~、なるほど!やはりそうなのかと。世の中の構造について考えるきっかけをくれた中村天風さんの本で学んだことが、現代の最先端科学と経営の現場実務の経験に基づいて解説されていて、すんなり入ってきました。田坂広志さんが、いま求められているのは、「人類全体の意識の変容」であり、「人々の価値観の転換」というのに、心の底から共感しました。そのためには、「宗教」と「科学」の間に「新たな橋」を架けることが必要と書かれていました。驚いたのが、そうなることで、“人類の「前史」の時代が終わる”、いつか必ず「本史」の時代の幕を開け、「新たな文明」の創造になると書かれていたことです。私たちは「前史」に生きているということ?!
また、科学者という立場から、「意識の謎」を解明できない現代の科学について、「そもそも『物質』そのものが、極めて原初的な次元で『意識』を持っているのではないか」という考えを提示。ゼロ・ポイント・フィールド仮説を通して、5つの意識の階層やコンステレーション、シンクロニシティなどの解説から、「人類全体の意識の変容」、「人々の価値観の転換」への取組みが書かれてありました。
まとめとして、「私とは何か」「生きる意味とは何か」など根源的なことが書かれてあり、現実世界を生きている私たちが取り組むことを示唆(それとなく教えてくれている)いただき、わたしが追い求めているテーマに気づきがありました。田坂広志さま、ありがとうございました。
●ゼロ・ポイント・フィールド仮説
この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説。
フィールド内には、「現実世界」と全く同じ「深層世界」が存在していて、「現実世界での私」と全く同じ、「深層世界での私」が存在している。「現実世界」を生きている「現実自己」に対して、「深層世界」を生きている「深層自己」と呼ぶべきものが存在している。すなわち、「深層自己」は「現実自己」と全く同じ「肉体の情報」と「意識の情報」を持っており、それも過去から現在に至る「すべての情報」を持っている。「現実自己」が死を迎え、消え去った後も、ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」は残り続ける。ゼロ・ポイント・フィールドの性質として、内部の情報同士が相互作用をし、「記録」から「記憶」へ、「情報貯蔵庫」から「宇宙意識」への転換。
●この量子科学においては、日常感覚では何も存在しないと考えられている「真空」は、実は「無」ではないとされている。
それは実は「量子真空」と呼ばれるものであり、莫大なエネルギーが潜む場である。そしてその中から、素粒子が生まれてきては、消えていく場である。
すなわち、ここにも、ある種の「物質」と思われるものが、真空(無)から生まれてきて、真空(無)へと帰っていくという不思議なプロセスが存在する。
このように、現代の科学である「唯物論的科学」や「物質還元主義的科学」が立脚する「物質」という存在は、実は極めて曖昧な存在であり、むしろ、現代の最先端科学は、この世界の本質は「物質」ではなく、「波動」であり、「エネルギー」であることを明確に示しているのである。これが、現代の科学が直面する「物質消滅」という限界に他ならない。
p.60引用
●むしろ、現在、最も注目されているのは「そもそも『物質』そのものが、極めて原初的な次元で『意識』をもっているのではないか」という仮説である。
「物質」と「意識」を対立的に捉える考え方ではなく、むしろ「物質」の根源的要素である、量子や素粒子そのものに、極めて原初的な次元の「意識」が備わっているという考え。
p.65引用
●この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場にに、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が「記録」されているという仮説である。この宇宙には「量子真空」(Quantum Vacuum)と呼ばれるものが存在し、その場が、「ゼロ・ポイント・フィールド」で満たされていることは、現在、科学的事実として認められている。
p.116引用
●この「量子真空」は、いまも、我々の身の回りに、この宇宙のすべての場所に、普遍的に存在しているのであり、これは、別な表現をすれば、我々の生きているこの世界の「背後」に、「量子真空」と呼ばれる、無限のエネルギーに満ちた世界が存在しているということである。
p.119引用
●我々が「物質」と思っているものの実体は、すべて「エネルギー」であり、「波動」に他ならず、それを「質量や重量を持った物質」や「固い物体」と感じるのは、実は、我々の日常感覚がもたらす「錯覚」にすぎない。~中略~ 量子力学的に見るならば、我々が日常的に感じる「物質」というものは、本来、存在しないのである。~中略~ 我々が、「見えない意識」と思っているものも、その本質は、やはり、すべてエネルギーであり、波動に他ならない。もし、我々の意識や心や精神というものが、量子現象であるとしても、脳内の神経細胞の電気信号であるとしても、いずれも、「波動エネルギー」に他ならないからである。
p.123引用
●「波動エネルギーを、波動情報として記録する」ということの意味を、誤解を恐れず、分かりやすい譬えで説明しよう。
例えば、いま、静かな湖面の上を吹きわたる風を想像して頂きたい。
この場合、風は「空気の波動」であり、それが、湖面に「水の波動」である波を生み出す。それは、言葉を換えれば、「風」というエネルギーの痕跡が、「湖面の波」という波動情報として「記録」されるということである。
そして、湖面の上を、様々な「風」が吹きわたるならば、そのすべてが、「湖面の波」として「記録」されるだろう。
これが、現実世界(湖面の上)での「出来事」(風)を、ゼロ・ポイント・フィールド(湖面)が、「波動情報」(湖面の波)として記録するということのイメージである。ゼロ・ポイント・フィールドは「量子的な場」であるため、「エネルギーの衰退」がおこならない。そのため、このフィールドに「記録」された「波動情報」は、永遠に残るのである。
p.125引用
●「ホログラム原理」を用いると、極めて高密度の情報記録が可能になる。無限に近い情報を記録することが可能なのである。記録した情報が、記録する媒体の「すべての場所」に保存されるため、媒体の「一部」からも「全体情報」が取り出せるのである。フィールドの一部に繫がるだけで、フィールドに記録された「全体情報」に触れることができるのである。~中略~ 我々の生きるこの宇宙や、この世界の「ホログラム的構造」、すなわち「部分の中に、全体が宿る」という不思議な構造については、これも、昔から、古い宗教的叡智や詩人の神秘的直観が、その本質を洞察している。
p.132引用
●「ゼロ・ポイント・フィールド」においては、「過去」から「現在」までのすべての出来事の「波動情報」が分かるということは、実は、その先に展開していく「未来」の出来事も、ある種の「波動情報」として予測できるのである。~静かな水面の池に石を3つ投げ込んだ3つの波の輪から、今度どのように広がっていき、3つの波がどのように互いに影響を与え合うか、その結果、どのように波の形を変えていくかは、ある程度、予測できる~ 同様に「ゼロ・ポイント・フィールド」においても、「過去」と「現在」の瞬間の波の状態(波動情報)がわかれば、「未来」の波の状態(波動情報)も、ある程度、予測できるのであり、従って、「ゼロ・ポイント・フィールド」に存在する情報とは、「過去」と「現在」の出来事だけでなく、実は「未来」の出来事の情報も含まれるのである。ただし、こうした「未来」の予測は、現実世界では、不可能に近い。なぜなら、現実世界では、「過去から現在に至る出来事」の情報のうち、手に入る情報が、極めて限られているからである。しかし、「ゼロ・ポイント・フィールド」においては、「過去から現在に至る出来事」について、膨大な情報が存在しており、もし、我々の意識が「ゼロ・ポイント・フィールド」に繫がるならば、それらの膨大な情報に触れることができるため、「未来に起こる可能性のある出来事」についても知ることができるのである。
p.141引用
●我々の意識が「ゼロ・ポイント・フィールド」に繫がることによって、「予感」され、「予知」される未来は、それらの様々な未来の中で、「最も起こりそうな未来」だからである。従って、現在の我々の行動が変わることによって、さらには、関係する人々の行動が変わることによって、その「最も起こりそうな未来」ではない、別の未来が実現することも大いにある。
p.144引用
●実は、現代物理学の世界では、「過去」「現在」「未来」は、「同時に」存在しているものとされている。~中略~ 我々は、「現在」の行動を変えることによって「未来」を変えることができるだけでなく、実は「過去」も変えることができるのである。
p.147引用
●なぜ、我々の意識が、「ゼロ・ポイント・フィールド」に記録されている「宇宙のすべての出来事の情報」や「過去、現在、未来の出来事の情報」に繫がることができるのか。その理由は、我々の「意識の場」である脳や身体は、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と量子レベルで繋がることができるからである。(脳や身体の特殊な情報において)p.152引用
●我々の表面意識の世界が、直接「ゼロ・ポイント・フィールド」に繫がるわけではないということである。
意識の世界「五つの階層」
1.日常生活の雑音に溢れた「表面意識」の世界
日常生活、日々の仕事に取り組むときに最も活性化している意識の世界。この世界では我々の「自我」(エゴ)が中心に動くため、不満、怒り、不安や恐れ、嫌悪や憎しみ、妬みや怨恨などの「ネガティブ想念」が「雑音」となって、我々の意識がゼロ・ポイント・フィールドに繫がることを大きく妨げる。
2.祈りや瞑想によって生まれる「静寂意識」の世界
日常の生活や仕事から離れ、「静寂」を保っているときの意識の世界であるが、この世界では我々の「自我」(エゴ)の活動は、比較的、静まっており、不満や怒り、不安や恐れ、嫌悪や憎しみ、妬みや怨恨などの「ネガティブ想念」も消えている。
そのため、この「静寂意識」の世界は、しばしば、ゼロポイントフィールドに繋がりやすくなるが、それが昔から、宗教的な人々や精神性を大切にする人々が「祈り」や「瞑想」などの「心の技法」を積極的に実践し、それを習慣とする理由でもある。そして、こうした「心の技法」を適切に実践するならば、この「静寂意識」の世界では、自分の心を静かに見つめる「もう一人の自分」が現れてくる。そのため、この「もう一人の自分」が現れてくると「自我」(エゴ)の動きは静まり、「ネガティブ想念」も消えていく。その結果、我々の意識は、ゼロポイントフィールドに繋がりやすくなり、そこから必要な情報や知識や叡智を得ることができるため、適切な「直観」が降りてくるようになる。この「もうと一人の自分」を筆者は「賢明なもう一人の自分」、もしくは「賢我」と呼んでいる。
3.運気の「引き寄せ」が起こる「無意識」の世界
これは「表面意識」や「静寂意識」の奥にある、我々自身が気づいていない意識の世界であるが、この「無意識」の世界は、古今東西の「運気論」において共通に語られる「引き寄せの法則」(Law of attraction)が支配する世界である。すなわち、この「無意識」の世界では、ゼロポイントフィールドを通じて「類似の情報」を引き寄せるため、この世界に「ネガティブ想念」があると、「ネガティブな情報」を引き寄せ、結果として「ネガティブな出来事や出会い」を引き寄せ、「悪い運気」を引き寄せてしまう。逆に、この世界に「ポジティブな想念」があると、「ポジティブな情報」を引き寄せ、結果として「ポジティブな出来事や出会い」を引き寄せ、「良い運気」を引き寄せることができる。
従って、この「無意識の世界」では、「引き寄せの法則」によって、不思議な「直観」や「シンクロニシティ」「コンステレーション」などの現象が起こる。「心の技法」により「無意識」の世界の「ネガティブな想念」を「ポジティブな想念」へと陽転し、「無意識」の世界を「浄化」する。そして、この「浄化」によって「無意識」の世界に「ネガティブな想念」が無くなり、「自我」(エゴ)の動きが静まったとき、いわゆる「無我」と呼ばれる状態が現れてくる。
シンクロニシティ
因果関係のない出来事が意味深く結びつく現象、意味のある偶然の一致。 同時性。 同時発生。 心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること。
1.因果関係の不在
シンクロニシティは、出来事同士に直接の因果関係がないにもかかわらず、関連性があるように感じられる場合に発生します。
2.意味の共鳴
出来事が偶然に一致するだけでなく、その一致が個人にとって特別な意味や象徴性を持つことが重要です。
3.タイミング
こうした出来事は通常、特定の時点や状況で発生し、個人の心理状態や人生の転機に関連することが多いです。
コンステレーション
星座の配置や動き、星座と布置(ふち)。一見、何の関係もない物事に中に、何かの「関係」を見いだし、確かな「意味」を感じとり、大切な「物語」を読み取る。そのことが我々の生を味わい深いものにしてくれる。人生の様々な出来事の中から、「関係」や「意味」や「物語」を紡ぎだす力、それが「布置」を感じる力。
4.無意識と無意識が繫がる「超個的無意識」の世界
「無意識」の世界のさらに奥深くに我々の「無意識」がゼロポイントフィールドを通じて互いに繋がった世界がある。その世界をユングは「集合的無意識」、トランスパーソナルは「超個的無意識」と呼んでいる。従って、この世界では、「直観」や「シンクロニシティ」「コンステレーション」はもとより、「以心伝心」など、我々の心が繫がったように思える「超個的な現象」が起こる。そしてこの「超個的無意識」の世界においては、一人ひとの「自我」や「賢我」を超えた「無我」をも超えた「超我」と呼ぶべき自己が現れてくる。
5.時間と空間を超えて繫がる「超時空的無意識」の世界
「超時空的無意識」の世界は、我々の「無意識」がゼロポイントフィールドを通じて互いが繫がった「超個的無意識」の状態をさらに超え、我々の「無意識」がゼロポイントフィールドと深く結びついた意識の世界である。
ここで「超時空的」と称するのは、ゼロポイントフィールドには「過去・現在・未来の出来事の情報」も存在するため、われわれの「無意識」は、「個人」を超え、「空間」を超えた情報とともに、「時間」をも超えた情報と繫がるからである。特に我々の「無意識」がフィールドと深く結びつき、この「超時空的無意識」になると「未来」に関する情報をも感得するため、「直観」「シンクロニシティ」「コンステレーション」「以心伝心」に加えて、いわゆる「予感」や「予知」「占い的中」といった「未来を知る」という体験が起こる。
我々の中から「自我」や「賢我」を超えた「無我」や「超我」も超え、昔から東洋思想で語られる「真我」と呼ばれるものが現れてくる。
▶二つ目の段階から、ほんとうの自分(賢明なもう一人の自分)とつながり、ほんとうの自分を形づくるシナリオづくりがはじまり導かれていく。
●宇宙の歴史とは、量子真空が、『自分とは何か』を、問い続ける過程である。
なぜなら、この「自分とは何か」という問いは、「自分の中に眠る可能性とは何か」という問いに他ならないかである。
~中略~ それは「極めて原初的な意識」から始まり、138億年をかけて、「知性を持った意識」を生み出した「宇宙意識」の進化の旅である。そして、それは、言葉を言い換えれば、量子真空が、すなわち、この宇宙が、「自分の中に眠る可能性」を開花し続けている、進化の旅に他ならない。
p.306
●「自分とは何か」の問いに対して、「自分の中に眠る可能性」を開花することこそが、まさに「自分とは何か」の問いに答えることであり、「本来の自己」を知ること。
そうであるならば、宇宙の歴史とは、宇宙の根源である量子真空が、「本来の自己」を、次第に知っていく過程に他ならない。
p.307引用
可能性を開花させる技法について
●「究極の問い」「永遠の問い」は、やはり、「究極の問い」「永遠の問い」であり続ける。
「この宇宙とは何か」という問いは、「自分とは何か」という問いに他ならない。
p.308引用
●「私とは、この壮大な深遠な宇宙の背後にある、この『宇宙意識』そのものに他ならない」
p.312引用
●一人の聴衆から問われた「死とは何か」という問い。それに対して述べた「その問いに答えを見いだしたければ、『私とは何か』という問いを問うべきでしょう。~中略~ 「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この『宇宙意識』そのものに他ならない」ことに気がついたならば、「死」は存在しない。「死」というものは存在しない。なぜなら、この現実世界を生き、「肉体」に拘束された「個的意識としての私」は、この「宇宙意識」が138億年の悠久の旅路の中で見ている、「一瞬の夢」に他ならないからである。そして、その「一瞬の夢」から覚めたとき、「私」は、自分自身が「宇宙意識」に他ならないことを、知る。
P.310引用
●しかし、忘れてはならない。
「宇宙意識」が見る「夢」は、我々が生きる「現実世界」を生み出す「夢」。それゆえ、「現実世界」を生きる「私」が、自分という存在が、実は、「宇宙意識」であることに気がついたとき、その「夢」の物語を変えていくことができる。目の前の「現実世界」を変えていくことができる。
~中略~ 「我々の目の前の世界は、すべて、我々の心を映し出した世界である」との教え。しかしこの「我々」とは、「肉体と自我に拘束された私」ではない。それは、「宇宙意識としての私」であり、「真の私」という意味で、古くから語られてきた「真我」に他ならない。
それゆえ、もし、我々が、この「現実世界」を生きているときに、この「真我」と繋がり、「宇宙意識」と繫がることができるならば、この「夢」が変わる。いま「宇宙意識」が見ている「夢」が変わる。
p.314
ほんとうの自分(私)である「宇宙意識」、「真の私」、「真我」と繫がる「心」を映し出した現実世界を見ることができる。という理解。
●宇宙意識=真我=わたし自身
p.316引用
●自分自身が「宇宙意識」そのものであったことを知ると、この「私」として生きる、この人生のかけがえの無さを思い、この人生を慈しんで生きることの「大切さ」を感じる
p.318
●だれの人生にも、大切な意味がある。
p.322引用
●(大切な意味)この「宇宙意識」は、「あなたという夢」を通じて、「あなたの人生」を通じて、「あなたの成長」を通じて、成長していこうとしているのだから。「宇宙意識」自らも成長していこうとしているのだから。
p.324引用
『いま、あなたに何ができるのか
ーーーすべての人が社会に貢献できる生き方・働き方』 田坂広志氏
抜粋
東日本大震災がなぜ起こったのか?
起こるべきして起こったのでは。
“意味を感じる力”共通の感覚
大切なものを忘れてしまった精神
いつか、破綻して大事なことに気づくんじゃないか、
そのようなことが起こらないと気づかないのか。
なぜ、この方々が命を失ったのか?
この方々が命を落としてまで我々に教えてくれたものがある。
この日本という国は生まれ変わらなければならない。
永く続いた混迷の国から、素晴らしい国に生まれ変わらなければならない。
そのことを教えてくれた。
心に定めなければならない、心に刻む →いま、できること
あのとき、日本は素晴らしい国への再生がはじまった。
無関心さ、無責任さが、この時代のこの問題を我々に与えたのではないか
だとしたら、気がつくことがある、思いを定めることがある。
●共感が問われている
共感とは、同情や憐憫(れんびん:ふびんに思うこと、あわれみの気持)ではない。
共感とは、目の前にいるひとりの人間の姿が、自分の姿のように思えること。
●なすべきことは、目の前の仕事
目の前の仕事をどう見つめるのか
その仕事に深い使命感をいだき、高き志を重ね、心を込めて取り組むこと
どのような仕事にも実は、ほんとうは良き社会をつくるという意味が含まれている
どの仕事もほんとうはその仕事を通じて、社会に貢献する意味がある。
その仕事をどのような思いで見つめ、取り組んでいるかということが、あらためて我々に問われるのではないか。
場合によっては、生活のために好きでもない仕事だけれど、言われたことはこなしていますという仕事の取り組み方もあるのかもしれない。
二人の石切り職人 寓話 教会の建設
Q.あなたは何をしているのですか?
ひとりの石切り職人A.
(不愉快そうな表情で忌々しそうに)ふん、この炎天下、この石と悪天苦闘しているのさ。
もう一人の石切り職人A.
(表情を輝かせ、明るい声で)ええ。わたしはいま、多くの人々の心の安らぎとなる素晴らしい教会をつくっているのです。
どのような仕事に取り組んでいるか、それが仕事の価値を定めるのではありません。
その仕事の彼方(かなた:方向)に何を見つめているのか、それが仕事の価値を定めるのです。
あらためて、目の前の仕事を見つめるべき
どのような仕事もほんとうは、素晴らしい日本をつくることができる仕事なんだと
原点を自分自身の心にも問うてみたい、みなさんにもその問いを投げかけてみたい。
そこには縁という言葉もある。ご自身の心の奥深くから聞こえてくる声もあると思います。
その仕事の彼方に何を見つめているのか
そのことを見つめるときに、われわれには使命感というものが生まれてくる、志というものが生まれてくる、そして目の前の仕事に思いがこもる、心がこもる、だろうと思います。
そういう日々の仕事を通じて素晴らしい日本をつくるという思い、決意を固める、定める必要がある。そのとき、社会起業家としての歩みは始まっている。
この社会を良きものに変えるという働き方 という理念を掲げてやってきました。
●ただひとつ素朴にわかることがある。
なぜ、われわれの心は、身の周りのだれか、そばにいる誰かが幸せになったとき、自分も幸せを感じるのだろうか。
はたを楽にしたときに、なぜか、爽やかな風が吹いてくる。
心の理、心理を見失って、十年、二十年走ってきているのが社会のあり方。生き残り、勝ち残り、サバイバル。隣にいる人を蹴落として、自分が生き残ることが幸せだと。だれがそんなことを言い出したのでしょうか。
●お布施 と 寄付とは違う
托鉢の僧侶に差し出すとき、どちらがお礼を言いますか?
自分の心の中の愛念(あいねん:いとしく思う心)を引き出してくれた
目の前の人を助けてさしあげる。
この瞬間に心のなかに、さまざまなエゴが渦巻く、埋めく、うごめく、その自分の心はわれわれは知っている。
その心のなかから、誰かを助けてあげようという、愛念が湧き上がってきた。目の前のひとりの方が、自分の愛念を引き出してくれた、ありがたい。
まさにありがたい、it’s a miracle.(それは奇跡です)
陰徳を積む 人さまのために何かをする 人さまのために何かをしたら、誇るな。
禅の世界では、無功徳
日本は、本業を通じて社会貢献 目の前の仕事を通じて社会に貢献
利益とは社会に貢献した証である。その利益を使って、さらなる社会貢献をせよ(世の声)
利益とは手段にすぎない。社会貢献をおこなう手段
欧米では、営利企業と非営利企業 二項対立的世界
スーパーアルピニストではなく、ひとりのバックパッカー。
働くすべての人々がこの仕事を通じて社会を変えようと思っています。素晴らしい国をつくろうと思っています。そう口々に語る日本という国はなんという国なんだろう。
●頭で考えるのではなく、心で感じること
計算尽くで、計画尽くで、やっている例はあまりないですね。ほとんどない。
企業の営利主義的な企業の事業開発なら別ですね。事業マップをつくって、ここにニッチがあるとか、ここにチャンスがあるとか、利益は最大化されそうだとか、一生懸命に事業計画を立てて、こうすれば短期間で、儲かりますという議論をするんでしょう。
わたしもインキュベーション、事業開発をやってきた人間ですから、正直申し上げると、仮に営利を目的としたとしても、その事業はあまり上手くいかないと思いますけどね。
どういう事業に取り組むのかは、頭で考えるのではなく、心が、感じる。とても大切。
魂が感じたこと、過たない(あやまたない:間違いや失敗を犯すことのないさま)。
魂から聞こえてくる声。
(あの仲間を捨てて、飛び出すわけいかないよ)こういう人間は強い。
くじけない、想いがあるから。計算尽くだと腰が砕ける。
(計算尽くは、いかに楽をして、最大の利益が上がるのかという思考 こっちのほうが楽じゃないか。)
あなたは、その人生を通して、信じているものがあるのか?それを問われているんだろうと思います。わたしが信じていることを申し上げるだけです。
志があるのは、強い。
志は、考えて身につけるものではない。感じる
あ~、何か、この仕事は自分の仕事なんだ
これは、俺にやれといっているんだ。
心が感じることを静かに見つめてください
青空をみて、ふと聞こえる声 これまでのやってきたこと、恩返しをしよう
頭で考えるのではなく、心で感じる、魂が感じることに従われることを申し上げたい
どんなテーマを選んで歩いていくか?!
なぜ、地味な仕事を乗り越えていけるのか、想いがあるから
現体験(自分の人生のなかで、心に深い影響を与えた経験)をもとにテーマ
自分の現体験を見つめるとき、そこに声が聞こえているときがある。
現体験は、縁、深い縁(えにし) 理屈ではない 縁を感じる
仲間とやろうと共感、何かの深いご縁だなぁ 縁を見つめること
縁にという思想があるから忍耐強い 朝起きると生まれ変わっていますから 心の復元力
なぜか巡り合った、魂が共鳴した、そこからすばらしい物語が始まる。物語が見える。
なぜか、志を持ち、人との出会いに縁(えにし)を感じ、歩んでいると不思議なことが起こる。「coincidence(コインシデンス:一致)」、 シンクロニシティというような不思議なことが起こるんです。
不思議な何か、導かれたような感覚、
ああ、困っているときになぜかこの人に巡り合った。
ああ、この技術をどうしようかと思ったときに開いた本に載っていた
そういうことが起こる
われわれの人生は、なにか、大いなるものに導かれている 例外なく
●人生において大切な2つのこと
1.人生において、人との出会いには、必ず深い意味がある
なぜ、この人と巡り合ったのか、
巡り合った人となぜ、心が引かれるのか、
そこには必ず深い意味がある。
その意味を考えるときに、声が聞こえてきます。
2.人生において、起こることには、必ず深い意味がある
壁も、挫折も失敗も、必ず深い意味があります。
何かを学べと言っている、そこにいくべきではないということかもしれない
わからないけれど必ず深い意味があります。
あえてもうしあげるとしたら、決して良いことばかりではない、辛いこと、哀しい事、挫折、失敗、敗北、喪失、さまざまな否定に見えるなかにも、大切な意味を見出すことができる。それを魂の力と呼ぶんだろうと思います。
●すべて良きこと
希望という言葉
今は悪しきことが起こっているが、何時か良いことが起こるという意味ではない。
我々の人生で起こる全ての出来事のなかに、ほんとうは大切な意味、そしていつの日か、素晴らしき何かに結びつく、大切なメッセージが含まれているんだと、そのことをもって我々は、希望と呼ぶんだろうと思います。
希望をもって、想いを定め、心を定める
http://hiroshitasaka.jp/audio/3768/
●志の定義
与えられた人生において己のためだけでなく、
多くの人々のために、そして世の中のために、
大切な何かを成し遂げようとの決意。
●使命感の定義
それは、一つの自覚のこと。
自分の人生が、
多くの人々のために、そして世の中のために、
大切な何かを成すために与えられた。
その自覚のこと。
【自覚】自分自身の置かれている状態や自分の価値を知ること。
●生きる力の定義
ただ一度かぎり与えられたかけがえのない人生を最高の人生として生きていく力。
理想かもしれないが、そこに腹を定めないかぎり、生きるということに対する原点が掴めない。
最高の人生だったかどうかは、命尽きるときに自らが答えを出すもの。
最高の人生を生きる力を持ってもらいたい。
●最高の人生とは何か?もっとも重い問い、補助線
2つの真実。人は必ず死ぬ、人生はただ一度しかない
この2つを見つめたら、悔いのない人生を送りたい。勇気が湧いてくる。
1.悔いのない人生
2.満たされた人生
3.香りある人生
4.大いなる人生
5.成長し続ける人生
1.悔いのない人生とは
ニーチェの問い:「人生を終えるとき、まったく同じ人生を生きられるか?」
失敗や、挫折はある。
ただ一つの答え、それがあったからこそ、今の自分がいる。
それがあったからこそを語れる自分。
ただ、人生に成功は約束されていない。けれども、成長は約束されている。
挫折のなかで優しさを感じる力を身につける。人に対して優しい思いになれる。順風満帆では身につかない。
「それがあったからこそ、ひとりの人間として成長できた」
成功から成長への人生の軸を変えたとき、風景がガラッと変わって見える。
成功を求めたときにあらわれる壁、成長を求めたときにあらわれる壁。
彼は、わたしの可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーです(イチロー)
わたしの(われわれの)素晴らしい可能性を引き出してくれる〇〇。
大きなトラブル、大きな成長の機会、終えたときに、何か得るものがあればいい。
どうすれば、苦労や挫折のときに成長できるのか?
「声に耳を傾ける」人は成長の速度が速い。「今回の問題は、〇〇なんだなぁ」
声というのは、その意味を教えてくれる。「あぁ、これは深い意味があるんだなぁ」
意味がわかる、意味を感じ取れる、意味の解釈力が人間の心の力。
▶悔いのない人生をおくるために、志を持つ
▶志を抱いて生きると、意味の解釈力が見事な力を発揮する。
2.満たされた人生とは
密度の濃い、充実した人生。
人生は長さではない。
人生の2つの尺度、長さと密度。
長さはコントロールできない。
密度は変えていける。密度の濃い時間をつくれる。
時間の長さは誰にでも平等、時間の密度は人によって違う。
密度の濃い人生を生きる人は、死生観(死ぬ、生きるの覚悟が違う、密度が濃い)
あと30日、30年、何が違うのか?みんな必死。この瞬間、必死に生きている。
人生、いつ死ぬかわからない。死を忘れるな。生きる、死ぬ、原点、感謝の思いが湧き上がってくる。「人間、死ぬまで命はある」まだ、死んでないのに心が死んでいるんだ。いずれ終わりがやってくる、まだ命があるのに、精一杯生きようとしないんだ。今も、「今日一日しかない」という思い。だったら今日一日を精一杯生きよう、明日終わりがやってきたらかまわない、しかたない。今、この瞬間を生きる。「過去もない、未来もない、あるのは永遠に続く今だけ」今を生きろ、今を生ききろ。この瞬間を生き切ろう。その覚悟があれば、今日一日も満たされた一日になっていく。失敗したら多くを学び、失敗したら成長を学び、密度の濃い人生を生きることができる。
▶満たされた人生をおくるために、この瞬間を生き切る。密度の濃い時間、人生。
3.香りある人生とは
なぜ我々は志を抱いて生きるのか。香りある人生を生きるため。
「香りのある生き方」とは、使命感を持って生きる。
使命感とは、それは、一つの自覚のこと。自分の人生が、多くの人々のために。そして、世の中のために、大切な何かを成すために与えられた。その自覚のこと。
どうすれば、自覚、使命感を持つことができるのか?
われわれはもっとも恵まれている、その事実をしっかりと見つめるべきである。
豊かな国になっていることに気がつかない、そのこと自体がこの国の貧しさではないでしょうか?
「高貴な人間が自覚すべき義務」から「恵まれた国に生まれた人間が自覚すべき義務」
「高貴な身分の人間が自覚すべき義務」をひっくり返すと「義務を自覚する人間の高貴さ」
香りというのはそこから生まれるのではないか。
自分だけのこと考えるわけではない、自分に与えられた何かが、ありがたいという感謝のなかから、自分には何か成さねばならないことがあると思って生きていかれる方、黙っていても何かの高貴さがそこには生まれてくる。
それを日本では昔から香りと呼んだのではなかったか。義務という言葉が、~しなければなないと聞こえるならば、日本には素晴らしい言葉ある、使命。~しなければなないという受け身ではない、これが私の道だ。使命という言葉を子供たちに伝えてあげたい。
▶香りある人生を生きるために求められるのは、使命感。そしてその使命感の裏にあるのは、志。志と使命感はコインの裏表のように一つの言葉。(野心家、野心を裏返しても、そこに使命感はない。成功してみせるという願望があるだけ。)
補足:使命感はどのように生まれるのか※別な言い回し
自分が「恵まれた人間」であることを、知ること。
世界でもっとも恵まれた存在だと知る時、二つの感情が自然と生まれてくる。
「感謝」と「義務」
「恵まれた国」に生まれ、「恵まれた人間」として生きることへの感謝。
恵まれた境遇に生まれた人間には、
そうした境遇に生まれなかった人々に対して為すべき義務
この二つの想いが生まれてくる。
イギリスでは、この自然に生まれてくる「義務」を「ノブレス・オブリージュ」(Noblesse Oblige)という思想として語る。
「高貴な人間が自覚すべき義務」という意味の言葉。
ただ、「義務」と言う言葉を見つめたときに、
「受動的」「消極的」なイメージを持つだろう。
「受動的」で「消極的」な意味を超え、
「能動的」で「積極的」な意味へと深まっていくとき、
そこには、いかなる言葉が生まれるのか。
「使命」
「私は、そうしなければならない」という思いが深まっていくとき、
「そうすることが、私の道である」という思いが生まれる。
「高貴な人間が自覚すべき義務」
この言葉を反対にしてみる。「義務を自覚する人間の気高さ」
そして、「義務」が「使命」へと深まる。
「使命を自覚する人間の気高さ」どうだろう、「気高さ」という言葉から香りを感じないだろうか。「使命感」こそが、「志」の原点。
そして、我々の生き方は、この「志」と「使命感」によって支えられたとき、
初めて、「香りある生き方」となる。
「香りある人生」とは、その生き方の彼方にあるものだろう。
【気高い】上品で高貴な感じがある。品格が高い。
4.大いなる人生とは
大きな事業、でかい仕事のことではない。
二人の石切り職人の寓話
新しい教会の建設現場であなたは何をしているのですか?
一人目:ふてぶてしい態度で、暑い中、忌々しい石と悪戦苦闘している。
二人目:目を輝かせて、多くの人の心のやすらぎの場となるすばらしい教会を作っているんです。
いかなる仕事をしているか、その仕事が我々の仕事の価値を定めるのではない。その仕事の彼方に何を見つめているのか。それが我々の仕事の価値を定める。
仕事の大きさではない。一隅を照らす、これ国の宝なり。
この石切り職人もまさに一隅を照らす、やっていることは、炎天下で石を切っているように見えるかもしれないけれど、その心は、遥か彼方、この出来上がった教会で多くの方々が心のやすらぎの場を得る。その素晴らしい何かを見て歩んでいるこの方の人生、大いなる人生だと思います。
大いなるものを見つめる人生、そこにも野心と志という言葉の違いが生まれてくる。
仕事の彼方に何を見つめているのか
目の前の仕事だけを見つめれば、一人目の石切り職人になる。
世の中を良くするための素晴らしい事業の大切な一部を成している
その仕事を通じて、その彼方を見つめることをなぜ、しなくなったのか。
そのことを語ることが志ではなかったのか。
二人の目の石切り職人が、教会の絵をありありと心に浮かべて語る姿が志ではなかったのか。この方が素晴らしい教会の絵を心に思い浮かべながら、人々のためと思い、その祈りを込めてつくりあげたという、その営みが、まさに大いなる生き方ではなかったのか。
→10年後の姿とは、志のこと。いまやっている営み(仕事、事業)が、多くの人のために、世の中にために、大切な何を成し遂げているのか、その状態を心に浮かべる絵を語ること。
【営】1.こしらえる。作りととのえる。2. 仕事をする。事業をする。物事をする。おこなう。
【経】1.すじみちをたどる。過ぎてゆく。とおりみち。へる。2. 物のすじみちや不変の道理を説いた書物。①たていと。織物のたて糸。②たてのすじ。③へる。たつ。道筋をたどる。④おさめる。いとなむ。「経営」→事業をいとなむという意味。
教会というのを見つめることも大いなること、ときに歴史というものを見つめるのも大いなる生き方。自分の仕事が、自分の人生が、この大いなる歴史のなかで何を意味しているのか。そのことを見つめることも大いなる人生。この宇宙の歴史を教えるべき。138億年前からの歴史をなぜ見つめさせてあげないのか。※1:24:30~現代科学の最先端では
この真空から森羅万象が生まれたという、この宇宙は空から生まれた。初めに光ありき。そこから宇宙がはじまった。我々はスターチャイルド。地球は最適の軌道の惑星。138億の旅路のなかにある。「我々はどこから来たのか」「我々は何ものか」「我々はどこへいくのか」
フランクルの問い
Q.「私の人生の意味は何でしょうか?」
A.「あなたは人生にその意味を問うべきではない。人生があなたに意味を問うている。あなたは人生から深く問いかけれらている。あなたの人生の意味は何か?その問いを問いかけられているんだ」
われわれは人生の意味を自らの力で定めていけるんだ。それこそ、人生から我々が問われていること。
自分の人生の意味は何なんだ。どのような生き方をするんだ、何を求めて生きるんだ、ということを問い、問い、問い続けて、その果てに生まれてくるもの、それが結晶して生まれてくるもの、それが本来、志ではなかったのだろうか。
一回かぎり与えられた人生、どのような意味があるんだ、ほんとうに深く問うたとき、われわれは、気がつけば志をみているのではなかったのだろうか。それが4番目の理由。
▶大いなるものを見つめる人生、人生の意味、生き方、求めるものなど問い続けて、結晶して生まれてくる志を抱いて生きる。
5.成長し続ける人生
なぜ、われわれは志を抱いて生きるのか、成長し続ける人生を生きるため。
成長し続ける人生とはなにか。定義は、命尽きるその日まで人間として、成長していく人生のこと。※1:40:00アーティスト話
人間は歳を取るほど、瑞々しく、しなやかな心で生きていける。苦難を乗り越えればそんな生き方ができる。新たな常識を生み出しみたい、歳を取ることは素晴らしいことだ。
Q.自分の人生を大切にするとは?
A.自分の人生を大切にするということは、自分の人生で巡り合った方々を大切にするということ。縁、えにし。
Q.人を大切にするとはどういうことなのか?
A.互いに成長すること。20年経って、お互いに成長出来ましたねと言えれば、お互いに相手を大切にできたこと。荒砥石のなかで成長させていただく、魂の修行。
心が生体する、真正面からぶつかり合う。深いご縁。
志の伝承、次の世代が受け継いでくれる。我々が礎となろう。
志とは、おのれ一代では成し遂げることができない素晴らしい何かを次の世代に託する祈り。この志を抱いて歩んでいきたい。
志を裏返せば、使命が書いてある、そして使命という言葉はほんとうに素晴らしい言葉。使命と書いてなんと読むか、命を使う。必ず終わりがやってくる命、一回しかないこの命、いつ終わりがやってくるかわからないこの命、そのかけがえのない命、何に使われますか?その覚悟が使命という言葉のほんとうの意味ではないか。